戦艦 扶桑 1941 / 2

 

前檣楼、煙突、後檣 等上部構造物。Flyhawk製扶桑用フルセット、FineMolds製25mm連装機銃等、FineMolds製ナノドレッドプラパーツでディテールアップ。マストは真鍮線をハンダ付けして組み立て。 後檣のデリックのワイヤー部分もFlyhawk製エッチングパーツ

イギリスに端を発する「超弩級戦艦」の建艦競争のなか、「扶桑」は明治43年(1910)の超弩級戦艦4隻建造案にて僚艦「山城」と共に建造され、大正4年(1915)11月 呉海軍工廠にて竣工しました。

基準排水量 29,330t、293m x 40.8m、40,000馬力、22,5ノット。

 

当時としては世界最強の戦艦となりましたが、各国の戦艦に対する性能改善要求は停まらず、1921年ワシントン海軍軍縮条約、1930年ロンドン軍縮会議の制約を受け、各国は現存艦の強化に走りました。

「扶桑」も1930(昭和5年)より近代化改装工事を開始し、これにより喫水線上44mという特徴的な前檣楼の「パゴダタワー」構造が作られました。

1940年に、それまで砲塔上にあったカタパルトを艦尾に移設、船体周囲に消磁電路を敷設して太平洋戦争を迎えました。 

基準排水量 34,700t、303.9m x 47.25m、75,000馬力、24.7ノット。

36cm連装砲 x 6基12門、15cm単装副砲 x 16基、12.7cm連装高角砲 x 4基。

 

開戦とともに扶桑は第一艦隊第2戦隊に所属しましたが、艦齢26年と古く速力が遅いため、ミッドウエー海戦のほか、大きな活躍の場が得られませんでした。

 

1943-4(昭和18-19)年に掛けて対空機銃や各種電探を増設、「山城」とともに第3部隊を編成してレイテ沖海戦のため、1944年10月22日に西村艦隊として、重巡「最上」および4隻の駆逐艦と共にブルネイ泊地より出撃。同25日午前2時過ぎよりフィリピン周辺のスリガオ海峡にて米艦隊と交戦、右舷中央に魚雷4発が命中し弾薬庫に引火大爆発を起こし、先に沈没した山城の後を追って全乗組員1,800名強とともに沈没しました。

 

主砲や甲板上に多数の対空機銃が増設された末期の1944年時の姿も勇壮ですが、改装に改装を重ね、扶桑としての大艦巨砲主義時代の最終完成型となった1941-2年時のフォルムに、扶桑本来の設計的な美しさが良く表れています。 

 

艦の中心部に存在する3、4番砲塔の影響で不安定にくびれた前檣楼や高所に追いやられた後部高角砲等、日本海軍軍艦のなかでも特異的にアンバランスな形状を有する扶桑は、機能面はともかく、むしろ一番美しく感じられます。

悲劇的な最後もあり、戦績の割に扶桑が好きな人が多いのも納得できるところです。

 

シコルスキー「扶桑」図面集と
シコルスキー「扶桑」図面集と

 

アオシマ製インジェクションプラスティックキット、エッチングパーツ付限定版「扶桑1944年」(No.040447) を組み立てました。組立説明書には、別刷りの1942年時の組立説明書も同封されていましたので、こちらの仕様を参考にしました。

 

エッチング部品としては、上記アオシマ純正セットの他に下記部品も使用して、ディテールアップ。

 

 ・ FLYHAWK製扶桑専用エッチングセット

 ・ ピットロード製扶桑用エッチングセット

 ・ ハセガワ製水密扉、舷梯&係船桁、舷外電路、絡車、ボートダビッド

 ・ ライオンロア製手摺、梯子

 ・ 海魂製汎用ハリヤード

 

 その他、下記各部材も追加使用。

 

 ・ フラグシップ製極細チェーン

 ・ ファインモールド製探照灯、ナノドレッド25mm連装機銃 

 ・ MODELKASTEN製メタルリギング極細張り線 

 ・ 各種真鍮線、銅線、伸ばしランナー、信号旗シール

 

 

甲板はタン系の類似色を4色用意して、ベースにタンを塗った上から、順次他の3色をマスキング、エアーブラシの繰り返し行程により板目を表現しました。

飛行甲板部のリノリューム部分は、煩雑になるために、押え金具のディティール表現はしていません。

船体の塗装はアクリル系の呉工廠カラーを吹き、一部上塗りでエナメル系塗料も使用しました。適度に錆等の汚し処理を施してから、つや消しクリアのエアーブラシを掛けて仕上げました。

 

主砲と砲塔のはめ合いがきつくて挿入できないため、はめ込み穴を広げて自由に主砲が回転できるようにしました。

 

艦載艇の11m内火艇 x1、12mランチ x2、および9mカッター x4をそれぞれエッチングパーツ、真鍮線、伸ばしランナーで精密化し、うち12mランチ1隻はキャンバスのカバー付き状態にしました。

 

前檣部左右に舷側灯、信号桁に2キロ信号灯を取り付け、信号桁からの張りロープには艦名符字として扶桑を表すJGFAの信号旗を掲げました。

(注:扶桑の艦名符字は年次での変更があったのか、諸説がありますが、ここではモデル的効果を優先してJGFA説を採りました)

 

後檣部のヤードには舵柄信号標を吊り下げ、艦尾信号灯を設置し、当時の艦長木下三雄大佐の代将旗を掲げました。

 

艦首部左右に投鉛台、艦首部左舷に使用中の係船桁、同右舷にパラベーン揚げ卸し中のデリック、および左右艦尾部に舷梯を設置。

アクセントとして、船体周辺の海上に作業中の運貨船やランチ、内火艇を配置。

 

艦尾飛行甲板には、1942年暮まで搭載されていた中島95式水上偵察機3機を、機体上面を濃緑と土色の迷彩色仕様に塗り分けて搭載。

 

 

製作にあたり、下記文献を参考にしました。

 

・ 戦艦扶桑図面集(ヤヌス・シコルスキー著、光人社)

・ 写真日本の軍艦 戦艦1(光人社)

・ 扶桑型戦艦(学習研究社)

・ 艦船模型スペシャルNo.24 「扶桑・山城」(季刊モデルアート)

・ 同、モデリングガイドブック 日本海軍戦艦編

・ NAVY YARD VOL.10(大日本絵画)

・ 軍艦雑記帳(森恒英著、株式会社タミヤ)

 

 

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