✈ サン=テグジュベリ、パイロットとしての軌跡 ✈
1926年、26歳のサン=テグジュペリはラテコエール航空会社に操縦士として採用され、トゥールーズからカサブランカ、ダカール間の航空郵便輸送に従事。
1927年、後継会社のアエロポスタル社のもと、スペイン領のモロッコの中継基地、キャップ・ジュピーの飛行場長に就任。1929年までには南米のリオデジャネイロ、ブエノスアイレス、アンデス山脈を超えてサンチャゴまでの定期便が運行される。
アエロポスタル社は1932年に解散されたが、この間の経験は「南方郵便機」「夜間飛行」などの著作に生かされた。
下の写真は初期に使用されたブレゲー14型複葉機。
あのともしびの一つ一つは、闇の大海原の中にも、なお人間の心のいう奇蹟が存在することを示していた。あの一軒では読書したり、思索したり・・・・愛し合っているかもしれなかった。(堀口大學訳『人間の土地』)
そして、ラテコエール28型機。
1943年6月、サン=テグジュペリは1939年来の偵察飛行大隊に復帰。
1944年7月31日朝、コルシカ島の連合軍ボルゴ基地から偵察機 F-5Bで写真撮影に出たまま行方不明となり、永遠に帰投しませんでした。
時は過ぎて1998年、マルセイユ沖で地元の漁師がサンテック名の銀の腕輪を発見、2003年にはF-5B機の機体の一部が付近の海底から引き上げられ、機体に記載された数字からサンテック搭乗機であることが確認されました。
2008年3月、ドイツ軍元パイロットのリッペルト氏が、1944年当日にメッサーシュミット機で私が撃墜したと証言したが、上記のF-5B残骸には機銃弾痕がなかったため、真相は未だ不明。
07/31, 1944